2020年9月6日日曜日

新日本の姿を示せ 近衛文麿 1934年、昭和9年9月号 「文芸春秋」にみる昭和史 第一巻1988 要旨・感想

新日本の姿を示せ 近衛文麿 1934年、昭和9年9月号 「文芸春秋」にみる昭和史 第一巻1988

 

 

感想 202094()

 

整った文章だ。*米国に渡り要人と面会し、英語もできるようだ。すごい。*一高卒業後、東大哲学科から京大法学部に転学し、河上肇からマルクス主義を学んだとのこと。*

しかし、時代の子。東アジアの盟主としての日本を前提にしているようだ。満洲を基本にしている点では松岡洋右に似ている。

また編集部注によれば「革新的」で軍部にもてはやされたというから、かなり大日本的な考え方だったのだろう。しかし本文では明示的にそのような印象を受けるところがない。*ただ国益を考えている人だということは伝わってくる。

五摂家筆頭の家柄の生まれとのこと。五摂家とは、鎌倉時代に成立した藤原氏嫡流で公家の頂点に立った五家。近衛、九条、二条、一条、鷹司の各家。

 

*再考1 整った文章なのだが、だらだらしていて問題点が整理されていない。それに英語は自分で話したのか、それとも通訳を同伴したのか。一高、東大から京大への転学など、入学試験を受けたのか。というのは五摂家の御曹司として、当時大学卒の初任給が50円の時代に、京都時代の月の仕送りが150円というから、不労所得の上にあぐらをかいた別格の人生を送っていたように思われるからだ。それにマルクス主義を学んだというが、スパイ目的か。というのは、近衛は本質的に自己や自国の利益を維持したいという考え方を基本としているからだ。

*再考2 本文に流れる近衛の基本的な考え方は、満州事変以後の日本の「新たな」対外方針を「革新的」と銘打ち、それを1920年代前半ころの国際平和・国際協調の方針に対峙させ、日本の方針を貫徹しようとするところにある。202096()

 

 

要旨

 

編集部注

 

 公爵近衛文麿は、五摂家筆頭の家柄に生まれ、1931年、昭和6年に貴族院副議長(40歳)、1933年、昭和8年に議長になった。「革新的」な政治家として若い時から「期待」され、政党政治に「飽き足らない」軍部が大いに近衛に肩入れした。

 

231 ニューヨーク・モルガン商会のラモントは、「日本は満洲の次に、つまり中国本土に関して、どういうつもりをしているのか。どうして対支共同経済援助を渋っているのか分からない」と言った。

232 ラモントは、対支経済援助のための委員として国際連盟から派遣されたライヒマンの説に感服したようで、日本が支那を独占するのではないかと疑っていた。

 

 アメリカは日本や極東について大して考えていない。アメリカには国内問題が多い。

 ルーズベルト大統領は、日本の議会での討論時間が少ないことを話題にした。

 

 ニューヨーク郊外の温室は荒れ果て、邸宅、自動車、ボートなどの売り物がさかんに出る始末だった。農産物価格の下落や天災で農民は喘ぎ、その点は我が国と変わりがないようだ。ルーズベルトもNRA*のような急激な政策の是非を判断しかねていた。NRAは有産階級には評判がよくないようだ。

 

NRA, National Recovery Administration 米国復興局。ニューディールの一環として設けられた政府機関。

NIRA, National Industrial Recovery Act 全国産業復興法1933は、1935年、最高裁で違憲とされた。

 

233 各所で日露危機について質問された。ロシアのトロヤノフスキー大使は、シカゴで、ロシアの平和政策を語り、「日露戦争が起こるとすれば、日本主導で始まるだろう。ロシアは常に平和政策を持している」と語った。

 日本がウラジオと近接し、満州国でソ連と国境を接しているから、戦略上日本の立場は苦しいだろうと同情してくれる者もいた。

 故ウイルソン大統領の懐刀として活躍したボストンの民主党の有力者は、「日本がこのまま突き進めば、欧州大戦前のドイツの二の舞になるのではないか」と危惧し、「今の世界は混沌としているが、この混沌とした情況を日本が利用して、東洋で何かをしでかそうとしているようだ」と語った。

 シカゴでは、前副大統領で共和党の有力某氏は「日本は東洋の核となるような大国である。日本のような国が存在しないと東洋はだめだ。米墨関係と日満関係はよく似ている。メキシコで『満洲でのようなこと』が起れば、アメリカは日本がとったと同じ、あるいはそれ以上の対策を取らねばならないだろう。日本はまだ手緩い。東洋の平和は日本によってのみ得られる」と語った。これはお世辞ばかりではないとして聞いた。

234 アメリカの一般的な空気は、日本を非難する説に近いようだった。日本が支那の経済的利益を独占するようなことになれば、アメリカは決して黙っていない、という人もいたが、日本の極東での安定的な勢力について積極的に反対する意見はあまり聞かなかった。これを(日本の)「主義」として認めるかどうかについて、アメリカは南米諸国や国際連盟に対する考慮から、なるべく触れたがらないようだ。「従来のような単純な(平和)理論」だけでは、極東問題を解決する基準にならないという考え方が、(アメリカの)一部の人々を支配しているようだ。アメリカが一時のような偏頗な態度を示さなくなったのはこのためだが、だからと言って日本の立場を真に「理解」しているとは考えられない。日本の満洲における行動が、一時的な政治情勢の結果と見て、将来、それが経済的に行き詰まるだろうと見る人もいる。満洲が日本の不動の国策であることをアメリカ人が認識するまでには、相当の時日を要するだろう。僕はアメリカに着いた最初の講演の中で、「日米の親善は、アメリカ人が、革新期における日本、すなわち発展のために重大な決意を持ってスタートを切った日本を深く理解することによってのみ可能だ」と述べたが、この信念を変更する必要はない。(これが近衛の一番言いたいことである。)

 ニューヨークの新聞関係者や外交政策調査会の人達は、大戦以後の世界平和機構とその維持に関する原則がなお厳として存在していると信じている。(近衛はこれを否定したいようだ。)日本が極東で取った政治的活動は、この原則の破壊であると彼らは考えている。彼らはロシアや支那に隣接する日本に同情するが、一部の人は、日本が列国の政治的・経済的不安に乗じて、支那に対してさらに積極的な侵略政策を行うのではないかと危惧している。その他の人々も、日本の極東政策が明朗でないと言っている。(原文では「明朗性を欠いているとの非難には理由あり」などと、これは口頭での会話を自分で要約したのではなく、英文原稿を入手してそれを翻訳したようだ。)

235 彼等が欧米流の考え方に立って極東を見るかぎり、彼らのいわゆる平和原則と日本の主張との間に甚だしい懸隔があるのに驚くのは止むを得ないだろう。(日本は日本で勝手にやるということか)その懸隔があるからとして、彼等が現存の(平和)原則を破壊し、日本を圧迫して干渉すべきだとは考えていないようだ。(だから今は日本のチャンスだ)

彼ら(アメリカ人)は列国と協定して日本を圧迫することを妥当と考えたことがあったかもしれないが、国際連盟の非力が暴露され、列国が積極的な態度に出ることを好まない現状では、アメリカが日本圧迫の矢面に立つべき理由はないと考えている。アメリカの一部の人々は、彼らの信ずる(平和)原則が極東の新情勢に適合しないのではないかと考えるようになった。彼らの多くは、(平和)原則論よりも、極東の事実を再認識すべきだと考え始めたが、それは(日本にとって)喜ばしい現象だ。しかし、彼らは原則論を放棄したのではない。彼らは、日本が新原則を主張するなら、米側が了解できるように日本のその新原則を明らかにすべきだと勧告した。そして従来の平和原則論のうえにさらに日米平和条約を締結する必要はないと彼らは考えている。

満洲問題については法律論が強い。国際法の権威で国務省の極東部長を10年間務めているホーンベックは、一貫した指導理論に基づいている。ラモントは「ルーズベルト大統領は外交を知らない。ハル国務長官は財政家だが、外交家ではなく、極東のことについては疎遠だ。だからホーンベックは、極東政策の決定では一番重要な人だ」と言っていた。ホーンベックは言論界に勢力があり、財界方面でも、極東政策は彼によって行われているとラモントは見ている。

アメリカの有力者が日本について一番関心を持っている点は、日本の政治動向であり、「日本の政治が軍部によって支配されようとしているが、国民はこれを信頼していない」と考え、やがて政党勢力が復活するだろうと予想かつ期待していると考えている人もいた。

 これに対して僕は、日本の政治は軍部だけで方向づけられているのではなく、戦前のドイツの軍部と今の日本の軍部の根本的相違を力説したが、意外の面持ちの人もいた。このような誤った考えを打破するように努めるべきだ。

236 「日米戦争が流布されているが、アメリカから文句を言い出す『筋』はない。現在の平和原則を最上のものとアメリカが確信する以上、日米戦争には根拠がない」という態度がアメリカで見られた。日本の政策がアメリカ人によって明確に認識されていないようだ。多少その認識が「是正」されている論文も見受けられるが、日本の政治、文化について、より認識を深めさせなければならない。アメリカ人が(日本に関する)不認識に基づくと、日本の(軍事的)行動に対して、アメリカの世論が盲目的に反感を持つようになる。日本の最近の様子を発信する機関を、ニューヨーク、ワシントン、シカゴなどに置くべきだ。また太平洋問題調査会のような機関が活動を活発化すべきだ。

 海軍問題についてのアメリカ人の認識は浅いようだ。評論界の一部の人たちは比率にこだわるより、各国の必要とする海軍力について議論すべきだという人もいる。

 

 以上をさらに概論すれば、以下の通りになる。

 日米関係の改善についてアメリカン人はほとんどイニシアティブを取らず静観している。現在アメリカが(日本に対して)提議する可能性のある問題は、(日本人)移民問題と比島独立問題だけである。移民禁止問題に関するアメリカ知識人の意見は、「これは実質的に日本の人口問題の解決にならないが、日本人に与える心理的影響は大きい。アメリカは日米親善上のそぶりとしてこの問題を解決すべきだ」と考えている。

 

237 日本の経済的進出に関するアメリカ実業家の意向は、ハーバート・クラブ・ハウスのユー・エス・スチールのスコットの談話のように、生産費以下の投売り(ダンピング)と見ているだけであり、ソシアルダンピング*とまで見ている者はすくない。

 

*ソシアルダンピング 国家・社会的規模でダンピング(不当廉売)を伴った輸出を行うこと。

 

 学界やニュー・ディール下の政治家や行政官の間には「生産費の概念に関する研究をする必要があり、ダンピングだとして(日本を)非難するには当たらない」とする者もいる。

 日米の経済関係が相互依存しているから、互恵的に産業関係を調整すべきだとする人もいる。食料経済の専門家は、自国の労働資本によって多くの価値をもたらさない産業の自給をやめて、相互に通商上の統制をすべきだとし、例として、日本の製粉事業とアメリカの絹織物事業がそれにあたるとしている。

 

 満州国問題では、スチムソンドクトリン*を維持しつつ、既成事実(満州国)を静観するだけで、法律的にこれを認めようとする空気はない。これは「九カ国条約*の破壊者としての日本」という考え方が深刻であるせいだ。

 

*スチムソンはフーバー政権の国務長官として、1929年に就任。満州事変について、侵略による征服を認めないとするスチムソンドクトリンを提唱した。1932

*九カ国条約 1922年2月、ワシントン会議によって成立した中国に関する条約。中国の主権尊重、機会均等を確認し、日本が二十一か条の要求で得た山東省の旧ドイツ権益の返還などを決めた。

 

 今日の状態をこのまま存続させること、つまり、進んで満州国を承認しないことによって、海軍問題の解決や太平洋の平和維持が難しくなるならば、満州国を承認して、海軍問題を解決すべきだという意見が、一部の新聞界の有力者間で起っている。

 しかし一般の世論や有力者は、満州国不承認のスチムソンドクトリンは、アメリカの国際関係の宣言に過ぎず、満洲の事態に干渉を加えるものではないとして、ドクトリンが東洋平和への障碍である(という日本の)理由(主張)を理解できないようだ。

 私が某大佐に政治的解決の必要性を説いたが、大佐は全く意外であるという面持ちをした。

 満州国の承認・不承認問題では、日米間で心理的に大きな距離がある。アメリカ在住の知名の記者は、満州国の承認は日本の極東政策全体を承認するものであるとし、(アメリカ人は)この問題を重視していると解説する。

 日米間の親善交渉は満州国の承認に限定すべきで、他の問題特に支那本部の問題に触れて疑惑の念を高めることは不得策だ。(松岡洋右1880.3.4—1946.6.26の説に類似している。近衛文麿1891.10.12—1945.12.16 松岡の方が11歳年長)

238 天羽(あもう)声明事件*は、広田・ハル交換文書*によって始まった日米親善傾向を頓挫させた。この声明が、日本が支那において排他的に独占的支配権を得ようとするものと受け取られたからだ。

 

*天羽声明 1934年4月、外務省情報部長の天羽英二の談話で、欧米列強の中国に対する援助を非難する。中国の排他的独占を目指すものと受け取られ、反発を招いた。

「日本は東亜地域の秩序維持に責任を持つ国家であり、列強による中国援助は、日中の特殊関係を考慮すれば、主義として、之に反対せざるを得ない」と述べた。(東亜モンロー主義)

*広田弘毅外相

 

 アメリカの世論は満州国それ自体における日本の行動よりも、支那本部に対する日本の動向に関して疑惧しているようだ。日本が対支政策に限界を示すことを望み、対支経済援助に日本が協力することを求めている。

 ラモントら実業家・財政金融家も、日本の対支財政的援助の復活を望み、日本が南京政府やそれに関連する国際連盟の技術的援助を排斥する理由が分からないと言っている。この点に関して日本の支那観を彼等に理解させるべきだ。

 

 日本の海軍問題に関する要求に関しては、日本の平等権の要求を、絶対的な総トン数や艦種別の平等と解釈し、日本の現行比率の撤廃の要求には反対している。私は、日本の要求は「理論上の平等権」であって、その自主権の下にどういう細目的方針を出すかはまだ公表されていないと説明した。彼らは、日本の言うその理論上の平等的自主権も、数年後には絶対的平等権と同じことになるだろうと考え、両者を区別しないと考えているようだ。

 彼らは、現行比率の撤廃に関して、もし、5、5、5を認めれば,極東における日本の地位ははるかに優勢になり、また現行比率は四国条約その他の防備問題の協定の上に認められたものだから、比率を撤廃するなら、政治的協定も改訂する必要があるとしている。

艦種の各国国防上の地位、即ち攻撃性・防御性について、プラット提督らの専門家の意見以外に特別の見解を持つ一般人はいなかった。

 外交関係の人々は、将来の海軍軍縮会議を決裂させないように腐心している。彼らは当面比率問題を度外視して、各国が必要とする製艦方針を示しあって、議論すべきだと考え、さらに各国が必要とする艦船の量は、その国の国防的必要や財政的要求によって決まるものと考えているようだ。

239 アメリカの世論がワシントン会議やそれ以後の国際平和に関する原則や機構を信じていることは驚くべきことだ。(日本が満洲を侵略したことこそ、驚くべきことではないか。)

 アメリカの一部の人々は、日米間の新協定に入るためには、日本が(満洲を侵略した)極東の「現実」に立脚して、極東平和の新原則を打ち立てるべきだと説いた。そしてアメリカ人が抱く平和原則に間違いがあればそれを指摘し、それに代わる新原則を示せという。(その通り。紳士的な対応だ。)

 このような今の状況で日米間の新協定に入るのは難しい。それを推進できる政治家がアメリカに現れなければならないからだ。

 軍閥制覇の下で国民の自由が奪われていた戦前のドイツが、ワシントン体制下の民主主義的国家に変わったのと同じ変化を日本の政治も被るだろうと考えている者がアメリカには多いが、日本の今の国民主義(愛国主義)的な傾向の意義を知ろうとする人もいる。

 日本の強硬な外交政策に注目するばかりで、日本の内政にまで眼を向けるアメリカ人は少ない。

 ソビエト政府の平和政策宣伝はアメリカに行き渡っているので、アメリカ人は日本陸軍の動向に注目している。日本研究はアメリカの大学や各方面で盛んになりつつある。

 新しい日本の姿を発信しなければならない。

 

1934年、昭和9年9月号

 

以上 202095()

 

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