ヒトラーと悪魔 小林秀雄 1960年5月号 「文藝春秋」にみる昭和史 第一巻 1988
小林秀雄 1902.4.11—1983.3.1
感想 2020年11月15日(日)
戦後15年も経っているからこんな威勢の良いヒトラー批判を書けたのではないか。戦時中だったらどうだっただろうか。小林はこのヒトラー批判を書いた1960年では58歳であったが、日独伊三国同盟が結ばれた1940年では38歳、明治大学で講師1932.4~の後、教授1938.6~をしながら文筆活動をしていた。
ウイキペディアでは小林は晩年「保守文化人」の代表者であったとあるが、それを示すような記述はウイキペディアには見つからなかった。
感想 2020年11月16日(月)
表現が大袈裟。情緒的な修辞を好む。こういう文章は嫌いだ。脚色ばかり。論理的に表現すれば数語で済むところだ。
戦前小林はマルクス主義にも係わったようだ。また6回中華民国を訪問した。
1936年12月、戸坂潤の誘いを受けて唯物論研究会に参加した。
1938年3月、日本軍の招聘で満洲を回った。
1940年6月、菊池寛らによる文芸銃後運動(川端康成、横光利一ら52人の小説家)の一員となり、日本国内、朝鮮、満洲を訪問した。
二宮尊徳を取り上げながら戦争協力講演をした。(1939年頃か)
本文全体を通じて小林はヒトラーについて華々しい批判をするのだが、一箇所だけ抜粋する。
480 彼(ヒトラー)の人生観を要約することは要らない。要約不可能なほど簡単なのが、その特色だからだ。人生の根本は、獣性にあり、人生の根本は、闘争にある。これは議論ではない。事実である。それだけだ。簡単だからと言って軽視できない。現代の教養人達も、また事実だけを重んじている。独裁制について神経過敏になっている彼等に、ヒトラーに対抗できる確固とした人生観を、獣性とは全く何の関係もない精神性が厳として実在するという哲学を持っているかどうかは、甚だ疑わしいからだ。
以上 2020年11月16日(月)
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