2020年11月16日月曜日

宅間ケ谷隣組 林房雄 1941年2月号 「文藝春秋」にみる昭和史 第一巻 1988

宅間ケ谷隣組 林房雄 1941年2月号 「文藝春秋」にみる昭和史 第一巻 1988

 

 

感想 20201116()

 

去勢された文士は饒舌だが、実質何も語っていない。

少しだけ抵抗らしきものが読み取れる個所は、次の通りである。

 

だが、そ(隣組)の潜在力を顕在力と見誤り、現在の隣組を過大評価し、その基礎の上に安住するのがもし万一大政翼賛運動であったとしたら、大変なことになるのだ。491

 

隣組は県知事の指令でこの時代につくられたみたいだ。487

編集部注では1939年8月、国民総動員体制の末端を構成するものとしてつくられたとある。その役割は、回覧板、配給、供出、消防、灯火管制、警報伝達、相互監視、スパイなどである。本文ではこれに常会の励行、出征帰還兵士の送迎、冠婚葬祭、国債の購入、門松を小さくすること、八幡様のお札の配布などが挙げられている。489

 

 

ウイキペディアによれば、林房雄1903.5.30—1975.10.9は、戦後『大東亜戦争肯定論』1963を発表し、三島由紀夫と意気投合したとある。「大東亜戦争」の呼称は占領下でGHQから使用を禁止され、戦後タブー視されていた。

 

林は東大法科中退である。苦学したようだ。

1926年、京都学連事件で検挙・起訴され、禁固10ヶ月。プロレタリア文学の作家。

1930年、日本共産党への資金提供を理由に、治安維持法違反で検挙・起訴され、豊多摩刑務所に入る。

1932年、転向して出所した。

1935年、マルクス主義からの離反を主張。

1937年、日中戦争に従軍。

1943年、小林秀雄と満洲・中国を旅行。

1948年、公職追放。

 

以上 20201116()

 

0 件のコメント:

コメントを投稿

青柳雄介『袴田事件』文春新書2024

  青柳雄介『袴田事件』文春新書 2024       裁判所への要望   (1) 公判時に録音・録画を許さないことは、知識の独占であり、非民主的・権威主義的・高圧的である。またスマホや小さいバッジなどの持ち込みを禁止し、さらにはその禁止事項を失念するくら...