2020年11月23日月曜日

大本営発表 館野守男 1954年9月号 オール讀物 「文藝春秋」にみる昭和史 第一巻 1988 メモ・感想

大本営発表 館野守男 1954年9月号 オール讀物 「文藝春秋」にみる昭和史 第一巻 1988

 

 

メモ

 

 著者館野守男は当時日本放送協会のアナウンサー(当時は「放送員」512)であった。

当時、12月8日の大本営発表は「感激」と看做されていた。510 正午から天皇の大詔が放送された。511毎月8日は「大詔奉戴の日」として、12月8日の放送が繰り返された。

 

畑中健二1912.3.28—1945.8.15は、8月15日未明、近衛第1師団長・森赳中将を殺してから日本放送協会に乗り込み、自らの放送をさせろと息巻いたが、たまたま電話が繋がった東部軍司令部の某参謀の説得で断念し、その日の午前11時ころ、仲間の一人(椎崎二郎中佐)と共に拳銃自殺した。(*本文では切腹とある。)また、放送局を包囲していた反乱部隊は憲兵によって退去させられた。

 

執念の男である。その辞世のメッセージは以下の通りである。

 

松陰先生の後を追うべく自決して、武蔵の野辺に朽ち果てる。敵のために自己の魂も、国も、道も、一時中断させられるであろうが、しかし、百年の後には必ず道と共に再び生きる。護国の鬼となり、国と共に必ず七生する。

 

 今の右翼の心性を理解する上で参考になる。

 

以上 20201123()

 

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