木の葉のごとく 菊田一夫 1964年8月号 オール讀物 「文藝春秋」にみる昭和史 第一巻 1988
感想 2020年12月21日(月)
戦後になってから戦時中のことに関して文を書く人に共通する点は、自己保身である。菊田一夫もその例に洩れない。菊田一夫が言いたいことは、自分はいい人だ、戦時中は当然なすべきこと、日本を勝たせるために書いたに過ぎない。それが悪いと言うなら、どうにでもしてくれ、ということだ。
菊田が演劇を書き続けても良いかどうか、米軍将校に訪ねに行ったときのことを記す以下の文章にそのことがよく現れている。
「9月20日 『明朗新劇』の脚本執筆に取り掛かる。しかし、やっぱり気が重い。このまま書くのは自分を騙すような気がする。
放送会館内に設置されたGHQ民間教育情報部演劇課に、担当将校のキースを訪ねる。通訳を通じて用件を申し述べる。
『私は劇作を業としている菊田一夫です。戦争中は東宝株式会社に所属し、…など、数多くの敵愾心昂揚脚本を書きました。私は日本国民として、日本に勝って欲しかったから、誰に強要されたのでもなく、それらの脚本を書いたのです。今でも悪いことをしたとは思っておりません。聞くところによれば文士も戦犯として捕らわれ、処刑されると聞きました。私は脚本を書くことによって生活の糧を得ているものです。書かねば食えません。いま、あるところから脚本を頼まれているが、それは書いてもよいのかどうかの質問をしに参りました。』
キースの返事は、『菊田さんに罪があるかどうかは占領軍のその担当者が調べることだ。私が菊田さんの釈明を聞く必要はない。しかし、アメリカの法律では、犯罪者は捕らわれ、裁かれ、そして有罪と判決されるまでは無罪である。』
キースはさらに『自分は占領進駐以来この職務を担当しているが、自ら名乗り出て、戦争中の仕事を告白したのは菊田さんだけである。グッドラック』と言った。
私は涙がこぼれて来た。」
戦時中、菊田ら演劇界で役職をもっていた人は、多くの会員に戦争協力を強要した責任を取るべきだと日本演劇協会総会で批判され、会長以下役員総員が辞表を提出した。それでも自らの正当性を主張したいのか「あれだけ一生懸命にやったのになあと悲しくなるが、誰もが戦争中の私たちがやったこの協会の仕事を批難しているのでもないことがわかり、じっと眼をつぶった」と言う。649
共産党が菊田を含めて、戦時中の行為でマークすべき戦犯文士9名(武者、山本、火野等*)を名指しして進駐軍に提訴した、と記しているが、これは共産党に対する挑発ではないか。
戦争が起り、誰にもその戦争の責任がないのなら、また戦争が起る。
*武者小路実篤1885.5.12—1976.4.9 トルストイ主義(個人主義・反戦思想)から一転して、1941年、日本文学報国会劇文学部会長。1946年9月、公職追放。
山本周五郎1903.6.22—1967.2.14
火野葦平(あしへい)1907.1.25—1960.1.24
感想 びっくり。8月14日の東北線宇都宮駅や、8月 日の岩手県岩谷堂町の光景。
・軍人ども(一人の陸軍将校と二人の兵士)は、汽車の中で特権的・暴力的に、食堂車の厨房を改修した広い座席空間を占領している。筆者が窓から入ろうとしたら、「馬鹿。貴様等の乗るところではない。」などと怒鳴り、筆者が投げ入れたリュックサックを顔に投げつけた。641
・宇都宮駅で、汽車に乗っている、恐らく東京方面からの乗客は、ホームの乗れない乗客が窓から入ろうとするのを阻止すべく、窓を閉めてしまう。東京人の自己中。641
・岩手県岩谷堂町の農民は、疎開先の旅館の裏側の空地でも、所有権を主張して貸さない。菊田が耕し始めたら、「こら泥棒」と大声で叫びながら近づいてきた。ケチ。644
以上 2020年12月21日(月)
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